この間、マイティと映画がどうのとか漫画がどうのとか、本がどうの、とか話していたら指摘されました。
ともちゃんは原作を読むよね、と。
もうね、まったく意識していなかったので驚きました。
ともちゃんて太っているよね、って言われたぐらいに驚きました。
それで「あ、そうか、わたしってそうだったんだあ」という感激と深い感動を覚えました。
もう25歳を過ぎたあたりから、自己分析も人からの指摘も早々無いですからして。
さすがのマイティに感謝です。
で、それから改めて考えてみたら、確かにわたしって原作を読むんです。
本当に無意識で、原作を読む癖がついていた。
『リング』も
『らせん』も
『スラムドッグ・ミリオネア』も
『八日目の蝉』も
『嫌われ松子の一生』も
『大奥』も(むしろ原作以外見ていない)
とにかく、原作があるものは原作を読んでしまう。
(あれ、なんだか邦画が多いですね)
それで、色んな人とドラマや映画やについて話すときに
「それって原作ではさ」
とか言っちゃうんです!!!
ギャー!赤面!!!
一体いつからこんなことに?
記憶をたどると、多分中学生の頃。
猛烈にレンタルビデオにハマって、塾の帰りにTSUTAYAでビデオを借りて見まくっていたあの頃。
『2001年宇宙の旅』を見て、さっぱり意味がわからなくて読んだのが初めじゃないかと、おもう。
それから、『風と共に去りぬ』を読破してから、原作をチェックするように、なったの、かなあ。
何度も、原作を先に読んでから映画を見に行ってはことごとく、ああ、つまらなかった、と後悔をし。
そのうちに、原作はとっておいて先に映画を見るようになり。
でも映画を見たら必ず原作を読むように・・・。
面倒くさい人だなー!
でも今更変えられない。
そういうわけで映画も相当に良いと言われていたけど一応読まずに控えていた『ライフオブパイ』の原作を読むのが心底楽しみ。
映画ですら本当によかったのに、原作はどんなにか素敵だろうか。
ハァハァ言いながら読ませて頂きます!
しかし改めて『ライフオブパイ』は永遠に人と語れる気がする。
すべての伏線が最後に回収されるあの感じ、感覚は本当に鳥肌モノ。
何度見ても新しい発見があるのだろう。
素敵な映画だったなあ。
2013年2月15日金曜日
2012年9月21日金曜日
2012年5月24日木曜日
ひかり

GWに行った井戸尻考古館にてたんぽぽの花を小川に流す遊び中
今からすでに10年くらい前のことですが、イギリスにホームステイをした時のこと。
老夫婦の家にお世話になること2週間。
途中、その夫婦のお孫さんから、モネについて小学校で作文を書いた、という内容のお手紙が届いた。
確か9歳とか10歳とかの年齢で、本当にうっすらとしか覚えていないのですが、こんな内容でした。
最後のところ。
モネは、毎日毎日、睡蓮の絵を書き続けました。
なぜなら、睡蓮を照らす光は見る度にちがう色で、一度たりとも、彼の眼には睡蓮が同じように見えることはなかったからなのです。
物知らずな私なのですが、これって有名なことなのでしょうか?
日本の美術の授業で、こんなことって習わなかったような気がします。
その老夫婦はこの手紙を読んで泣いておりましたが、お孫さんの成長を思っての涙なのか、その文章の美しさゆえになのか、未確認であります。
私もジーンときて、それどころじゃなかったからです。
でも、その感動を伝えることが、英語ではままならなかったのが、今もなお心残りであります。
10年経っても覚えている文章(原文を写させてもらえばよかった)、それってすごいこと。
どうしてそんなことを思い出したかというと、定期的に我が家に届くANAの小冊子ですが、その中で伊集院静がモネについて触れていたからなのです。
それで、ふっと、先の文を思い出してジワーンとなった次第です。
何がいいっていうポイントがいまいち自分でも分かってないのですが、たまらなく、イイ。
殿下にもそのイイ、っていうのと、ジワーン、をおすそ分けしようと伝えてみましたがいまいち伝わりきらなかったのが残念です。
って、英語でも日本語でも伝えきれないまま10年経っているという事実に気づいてしまいました。
しょんぼり。
とっくんちょもいつかモネのことを勉強した時にこんなようなことを書けるようになればいいなあと思いつつ。
楽しかったGWの思い出。

同じく井戸尻考古館でつかまえたアマガエル。
とっくんちょによって田んぼに放されました。
花火をスローシャッターで。
これで合作とかしたら大変に楽しいだろうな。
子供たちそっちのけで大人が楽しんでしまった。
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